3拍子といえば「ワルツ」を思い浮かべる方も多いはず。でも3拍子の曲すべてがワルツではないんです。
今回はワルツがどうやってできたか、ワルツの定義などについて解説していきます。
ワルツってどんな踊り?ワルツの定義とは
ワルツといえば音楽でいう 3拍子の舞曲 ですよね。社交ダンスでも競技の1つにワルツというジャンルがあります。
ワルツの意味やワルツができるまでの流れをみていきましょう。
ワルツとは
ワルツは3拍子の舞曲で、日本語で「円舞曲」と訳されます。 テンポは比較的速めで、ダンスフロアを円を描くように踊っていきます。
英語で「waltz(ウォールツ)」と表記され日本ではこれを「ワルツ」と発音していますが、ドイツ語では「walzer(ヴァルツァー)」、フランス語では「valse(ヴァルス)」と呼ばれています。
フランスの作曲家モーリス・ラヴェルが作曲した「La Valse(ラ・ヴァルス)」はそのまんまタイトルとして用いられていますね。
ワルツができるまで
ワルツの起源は13世紀ころといわれています。
オーストリア西部、アルプス山脈の東に位置するチロル地方やアルプス山脈を越えて西側にあるドイツのバイエルン地方を中心に流行っていたダンス「weller(ヴェラー)」が元になったようですね。
「weller(ヴェラー)」は農民の間で人気となりました。 この踊りは男女がぴったりと寄り添って踊るので、「不潔」「挑発的」という理由で上流階級の貴族たちはこの踊りを踊ること自体を法律で禁じられていたそうです。
しかしアルプスで暮らす農民にとっては、そんなことは関係なく踊り継がれて、16世紀に入ると次第に都市部でも踊られるようになりました。都市部で人気になったヴェラーは王宮でも踊られるようになり、踊り方も上品な感じに変わっていきます。
ヴェラーが上品になったものが「waller(ヴァラー)」となり、そこから「waltzer(ヴァルツァー)」と進化していきました。
ワルツの父・ワルツ王によって世界的なものに
このようにヨーロッパのチロル地方を中心に人気となったワルツが、世界的に有名になったのは1814年のウィーン会議でのこと。
当時は今のような均等な3拍子ではなく、2拍目がちょっと前に出てわざと拍をずらすようなウィンナ・ワルツが人気でした。
ウィーン会議で政治活動を行う際に、舞踏会を開催したことでウィンナ・ワルツは有名になり「会議は踊る」という言葉が生まれたのです。
このウィンナ・ワルツの様式を完成させたのは、ワルツの父とも呼ばれるヨハン・シュトラウス1世(1804~1849)です。
その子どもであるヨハン・シュトラウス2世(1825~1899)はワルツ王とも呼ばれていますね。
もともとは父のほうが「ワルツ王」と呼ばれていたそうなのですが、息子の作品の方が有名になり父が亡くなった後は息子が「ワルツ王」と呼ばれることになったのだとか・・・。
確かに有名なワルツ(たとえば「美しき青きドナウ」「ウィーンの森の物語」)は息子であるヨハン・シュトラウス2世の作品ですよね。
お父さんとしては、嬉しいやら悔しいやら・・・?今となってはどう感じているかは分かりませんね。
このように、シュトラウス父子は多くのワルツの管弦楽作品を作曲し、演奏会で人気を集め「ワルツ」をさらに世界的なものにしたのです。
まとめ
ワルツの定義や歴史は理解できたでしょうか?
もともとは農民の間で流行していた踊りで、男女の密着度が高いために宮廷で踊ることが禁じられていたなんてびっくりですよね!
同じ3拍子の舞曲であるメヌエットが宮廷舞踏として支持され、ワルツはダメだったなんて・・・。ワルツ誕生の時代背景が分かると、演奏の仕方も変わりそうですね。
いろいろなワルツを聴き比べてみませんか?
メヌエットとワルツの違いはこちらの記事でご紹介しています。
この記事を書いた人
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はじめまして、nabecco(なべっこ)です。
のんびり田舎ぐらしをしながら、自宅でピアノ&エレクトーン講師をしています。
生徒時代は練習嫌い・劣等生だった経験を活かし、そんな人でも楽しく音楽を学べるような記事作りを心がけています。
主婦目線での子育て情報も。
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